寄稿「発展著しい中国と向き合う」

 5月4日から7日の4日間、平将明衆議院議員ら同世代の政治家6名で北京を訪れた。このミッションは、2006年、2007年に続いて3回目。中国政府関係者との意見交換が目的だが、今回は温家宝首相の訪日を前に、震災後の風評被害改善に向けて協力要請も行ってきた。

■「世界第二の経済国」に登場したが…

 要路の人たちとの会話の中から、中国の実情を掴む。中国といかに付き合うか。日本の国づくりをいかに考えるか。

 今回は特に、2008年北京オリンピック、2010年上海万博を越えて、中国政府幹部や知識人の意識にいかなる変化があったか、二大国家イベント前後の変化に注目した。外交部、国防大学、社会科学院、全人代など7つの組織の人たちと、朝から晩まで意見交換に明け暮れた。

 中国は明らかに自信を深めた。

オリンピックと万博を成功裏に終わらせ、その間に発生したリーマン危機後には、世界経済のけん引役にもなり、2010年にはGDPで世界第二位になった。

 日本は、1964年オリンピック、1970年万博、そして、1968年に世界第二位の経済大国となった。中国は、2008年オリンピック、2010年万博、そして、2010年にGDPで日本を抜いた。半世紀弱の時間差で、中国が日本を追いかける、アジアにおける「雁行的発展」と捉えることもできる。

 しかし、中国人の捉え方は違う。中国の台頭ではなく、中国の復権だ。2006年訪中時の武大偉外交部副部長の言葉がいまでも記憶に残っている。「アヘン戦争以降現在まで、中国にとって異常な時期です」と。

 少なくとも19世紀初頭まで、中国は大国であった。アンガス・マディソン(グローニンゲン大学)の過去の経済力推計によると、1820年のGDPシェアは、中国33%、インド16%、日本3%、アメリカ2%、西ヨーロッパ諸国23%であったそうだ。中印両国が経済大国であったのだ。

 19世紀と20世紀は、日本にとっては発展の二世紀であった。中国にとっては不遇の二世紀であったのだろう。日本は、明治維新以後欧米列強と伍し軍事大国の一角をなし、戦後は廃墟から経済大国に上り詰めた。一方、中国は、アヘン戦争以降列強の支配を受けたが、ようやく近年、改革開放政策とそれに続く経済発展で国力増進を図ってきた。

 いよいよ中国人指導層が復権に自信を深めた、と感じとった。

■「高成長維持」は自信か過信か

 経済発展に対する躊躇はなくなった。

 2007年当時は、第一に、オリンピックあるいは万博後の景気減速の懸念があった。中国版バブル崩壊の可能性も叫ばれた。第二に、経済発展の負の部分が懸念された。第一に格差、第二にインフレ、第三に環境問題、第四に汚職が挙げられた。そして、解決のために胡錦濤主席は、「和諧社会(調和のとれた社会)」とのスローガンで諸政策を展開しようとしていたが、中国人指導層の発言からは、不安が隠しきれなかった。

 ところが、今回は、景気見通しに関して楽観論が相次いだ。経済学者からも、諸問題には政策対応可能で、高成長維持可能との見解があった。国防大学の幹部からは、今後20~30年間、8%程度の成長を見込んでいる、との発言。経済の専門家ではないが、国防予算の前提として考えているようだ。

 中国は経済発展のアクセルを踏み続ける意志を強めているように感じた。著名な現代中国政治研究者の国分良成慶大教授も著書の中で、「成長のパイを増やすことばかりを考え、再分配を重視する“和諧社会建設”は後回しになりそうだ」と述べている。

 ただ、将来を見通すと、厳しい実情も見えてくる。社会科学院の研究者が「日本は豊かになってから高齢化したが、中国は豊かになる前に高齢化する」と発言した。65歳以上の人口割合は現在8%程度だが、長寿化と、一人っ子政策という作為的少子化により、少子高齢化は急速に進む。

 人口構造は経済力に直結する重大な問題である。前述の研究者によると、一人っ子政策の見直しが始まり、一人っ子同士の夫婦には二人目を認めるとのこと。ただ、一朝一夕で変わるのもではない。2015年頃には労働力人口の減少が始まる。

■「政冷経冷」に踏み込んだ外交 

 格差や汚職などの国内問題が解決困難となり、国民不満が爆発したとき、中国は日本にいかなる態度をとるのか。私たちが大きな関心を持つことである。

 靖国問題で冷え切った日中関係は、2006年秋以降飛躍的に改善した。2006年10月の安倍首相の電撃的訪中から2008年5月の胡錦濤国家主席の訪日、そして、日中平和友好条約締結30周年の日中共同声明発出へ。両国首脳が交互に訪問を積み重ね、漸進的に関係が改善していった。

 ただ、中国の著しい発展にともなって、日中関係は変化した。2010年の尖閣諸島問題では、それまでの「政冷経熱」路線は踏襲されず、レアアース輸出停止、日本企業関係者拘束など、経済活動にも支障をきたした。いわば、「政冷経冷」である。

 リーマン危機後に自信をつけた中国は、2009年半ばから対外姿勢を強化したと考えられている。南シナ海などを核心的利益と呼び、海洋権益の拡大を推進している。また、天安門事件以後、共産党への支持を再強化するため愛国教育がすすめられたが、その中心は反日感情を利用した国家統合を企図したものだった。国防大学の幹部は、日中軍事交流の可能性に関する議論の中で「中国と日本の間には、根本的信頼がない」と語った。

 また、外交官養成学校の教官たちからは「日本は日米同盟を見直さないのか」との質問が相次いだ。民主党政権の日米中正三角形論等に刺激された発想か。中国の自信の表れか。私は、防衛力しか持たない日本の外交の要諦は、最悪を回避するための日米同盟と、最善を齎すためのアジア協調の組み合わせだ、と応じた。

■「アジア二大国時代」を生きる

 中国は、発展に対する“不安から自信へ”、“躊躇から猛進へ”確実に踏み出した。本格的なアジア二大国時代の到来である。成熟期の日本と、高度成長期の中国。東アジアの隣人として、日本は中国といかに向き合っていくのか。

 今回の訪中で感じ取ったことの一つは、中国が、軍事力増強とナショナリズムに向かう悪循環に対して、今まで以上に関心を持ち、回避させるための努力を惜しんではならないこと。歴史の常として、経済大国は軍事大国を目指すものだ。

 もう一つは、日本再生へのインプリケーションである。重要なことは、第一に、再生への執念を強く持つこと。第二に、強いリーダーシップを確立すること。第三に、強靭な国内体制を構築すること。東日本大震災からの復興とともに、日本再生への大きな槌音を早く響かせなければならない。

『月刊カレント』2011年6月号掲載
(5月16日記)