寄稿「日本の政党政治、勝負の夏 戦前の二大政党制に学ぶ」

 政党政治に対する不信感が急速に高まっています。政党は党利党略に明け暮れるもの、政治家は保身のみ考えるもの、と国民が感じはじめているように思います。重大な国難に当たって強い政治的リーダーシップが求められるいま、政党政治の崩壊は国家崩壊に繋がりかねません。

 1924年から1932年の戦前の二大政党期を振り返り、いま何をすべきか、考えてみます。

■戦前の二大政党制

 戦前の二大政党制は、1924年に第二次護憲運動の結果として政党政治が復権し、加藤高明による護憲三派内閣が成立した時点で実現しました。翌1925年に成立した普通選挙法と合わせて、大正デモクラシーの二大目標が達成され、戦前期における日本の政党政治の黄金期が形成されました。

 大正デモクラシーの理論的基礎をなした一人である吉野作造は、桂園時代以来の政友会一党優位体制の打破を目的に二大政党制導入を主張、また、政党や藩閥等の特権階級による支配を排除するため普通選挙制を唱えました。

 政友会と民政党の二大政党は交互に政権を担当し、憲政の常道が実現されました。天皇大権制かつ事実上権力分立型の明治憲法下において、統治制度の実態が最も議院内閣制に接近した時期となりました。

 しかしながら、その政党政治黄金期は間もなく崩壊します。

 第一の原因は、経済情勢の変化です。第一次大戦後の恐慌から世界恐慌まで日本は断続的に恐慌に襲われましたが、政府は効果的な経済対策を打てませんでした。さらに、政党が独占資本と結びついたことから、国民は政府の無策に失望するとともに政党政治に対する不信を募らせていきました。

 第二の原因は、国際環境の変化です。反帝国主義を掲げた中ソ両国が台頭し、東アジアの安全保障に対する脅威となりました。一方日本政府は、幣原外交に象徴されるワシントン体制の下での国際協調主義に徹したため、軍部などは不満を募らせ、一部は、満州における強硬策を独自に画策し、張作霖爆殺事件や柳条湖事件を引き起こしました。

 第三の原因は、政党自身の問題です。大正デモクラシーの二大目標はあくまで制度的な側面においてのみ実現したもので、前述の吉野が目標に掲げた「人民の意思による支配」は実現していませんでした。すなわち、政党は大衆の政治参加による支持基盤の不安定化を恐れ治安維持法を制定し、無産政党を抑圧する仕組みを構築しました。また、政党間競争においては党利党略による非政策的政争に明け暮れ、加えて、統帥権干犯問題など政党自身が政党政治を批判する発言も多発し、民意の反映は重視されませんでした。

 戦前の政党政治は、伊藤博文による藩閥と政党の統合、桂太郎と西園寺公望による桂園時代の藩閥との共存、そして、原敬による政友会一党支配体制の構築と順次発展し、二大政党制まで辿り着きました。しかし、この時期にピークを迎えるとともに一気に問題が露呈し、1932年の五.一五事件を契機に崩壊し、軍国主義に傾いていきました。

 経済および外交に関する重大課題が浮上したことは原因の一部ですが、それ以上に重要なことは、政党政治の理論と現実の乖離だったのではないでしょうか。1890年の国会開設当時において政党による政治支配が想定されていなかったと同様に、二大政党期において政党は政治の大衆の意思による支配を想定できなかったと考えます。

■現在の二大政党制

 ではいまの二大政党制はどうでしょうか。

 現在の二大政党制は、1994年の政治制度改革による小選挙区導入時から企図されたものでしたが、実現には時間がかかり、結局15年後の2009年に初めて、二大政党による政権交代が実現しました。

 しかしながら、その二大政党制は、早くも機能不全に陥っています。

 第一の原因は、経済財政問題の深刻化です。1990年のバブル崩壊からアジア通貨危機、リーマン・ショックに加えて今回の大震災まで、日本は断続的に経済危機に襲われましたが、政府は効果的な対策が打てませんでした。加えて、巨額の借金が積み上がりました。

 第二の原因は、国際情勢の深刻化です。グローバリゼーションにより中露両国が台頭し、特に中国は経済面で日本のGDPを抜くとともに軍事的でもプレゼンスを高めてきました。

 政権についた民主党は、これらの課題に対して、予算の組み替えや日米関係の見直しなどを模索しますが、いずれも絵に描いた餅で終わってしまいました。

 第三の原因は、政党自身の問題です。元々実現不可能なマニフェスト、パフォーマンスの事業仕分け、そして、東日本大震災に際し、国益より党益を重視する政党幹部の言動。

 これらのことから、国民は政府に失望するとともに既成政党に対する不信を募らせているのではないでしょうか。

 戦後の二大政党制は、1993年自民党下野、1994年小選挙区制導入、2003年民由合併、2005年郵政選挙などを経て、2009年政権交代まで辿り着きました。しかし、その瞬間にピークを迎えるとともに崩壊しつつあるように思います。

 自民党に愛想を尽かし、民主党に期待したのが2009年の政権交代であったとすると、民主党に愛想を尽かし、もう一度自民党に期待すべきか考え始めたのが震災前後までの情勢でした。ただ、この一カ月間、内閣不信任案提出の失敗、大連立構想の迷走、首相退陣宣言の不履行など迷走を続ける国政に、国民は見切りをつけようとしているのではないでしょうか。

■挙国一致内閣から真のリーダー選出へ

 われわれが抱えている課題は、短期では震災対応、中期では景気対策、長期では財政健全化、そして、超長期では人口減少・経済縮小対応だと考えています。

 重層的に絡み合った複雑な課題に対して、政治は大所高所から判断を重ね、国家国民をリードしていかなければなりません。

 ただ、いま必要なことは、まずは震災対応に集中すること。一日も早く挙国一致内閣を発足させ、政策と工程表を創り上げることだと思います。そして、半年一年の後、解散総選挙を実施し、国民に選ばれた強力なリーダーを選出し、中長期そして超長期の課題に対処すべきと考えます。

 本来であれば、自民党、民主党ともに来年9月の総裁選挙、代表選挙を前倒しで実施すべきです。その上で総選挙を実施し、勝利したリーダーは少なくとも4年間首相に在任し、腰を据えて新しい国づくりに邁進すべきと考えます。

 このままの政治情勢が続いた場合、国民の政治不信は頂点に達し、限界を超えます。政治の混迷が一層深まることは避けなければなりません。日本の政党政治にとって勝負の夏です。

月刊カレント2011年7月号掲載
(6月20日記)