オピニオン:今年は、国家ビジョンで競おう

 

■いま国家ビジョンを創るとき

 いま必要なことは、政治闘争ではなく、多くの人々が賛同できる国家ビジョンを創ることである。この国の再生に残された時間は限られている、次の総選挙は、この国の命運を決める重大な岐路となる。その時までに新たな国家ビジョンを打ちたてて、国民に信を問うことこそ、いまを生きる政治家の責務だと思う。

 昨年11月、ベルルスコーニ氏の後任として新たにイタリアの首相に就任したモンティ氏は、政治家抜きの内閣を組成した。戦後初めて、民選政治家が皆無のテクノクラート内閣である。政治家による合意形成よりも専門家集団による政策形成を優先した結果のように見える。

 日本の場合は、憲法68条で、「国務大臣の過半数は、国会議員の中から選ぶ」と定められているため、ルール上同様の事態は起きえないが、国民が政治家に辟易としているのは明らかである。「誰がやっても同じ」から「誰がやってもダメ」に。政治家には期待をしない。そんな気配が支配的である。

 いまこそ政治家は、躊躇なく国家ビジョンで競うべきではないか。

 以前は政治家が夢を語った。政治家が国家ビジョンを示した。また、1970年代から1980年代は自民党機関化の時代と呼ばれ、政治が行政と上手に付き合い、一心同体となって国家発展の機関車役を担っていた。

 しかし、日本国家が成長期から成熟期に入り、利益分配型から不利益分配型に政策形成が移行すると、官僚も政治家もなかなか政策形成に責任を持たなくなった。実際、永田町は、国家ビジョンを描くことを諦めているように感じる。理由は恐らく、第一に、全体最適を考えると利害調整が不可能なこと。第二に、率直に解決策が見つからないことだろう。

 したがって、ある一部を捉えた議論に終始してしまうのである。部分最適の積み重ねが必ずしも全体最適には向かうとは限らない。合成の誤謬が生じる。いま正しいと考えられる政策が、あとから振り返ると逆行する政策だったりする。

 永田町も霞が関も、一人一人は一所懸命に働いている。ただ、全体として仕事の生産性は上がっていない。

 財政制約、人口制約、環境制約などさまざまな条件のもとで、国家の経営ならびに国民の生活をいかに成り立たせるか。実現可能で最も意欲的な国家ビジョンを描かなければならない。

■「縮む日本・膨らむ世界」

 国家ビジョンを考えるとき、考慮すべき重要な点が二つある。一つは、日本の国の規模が相対的に小さくなっていくこと。日本は人口減少で小さくなる一方で、世界はグローバル化で大きくなっていく。いわば、「膨らむ世界の中の縮む日本」を想定することである。

 昨年10月26日のニュースでは、日本の5年ごとの国勢調査で初めて人口減少が確認されたことが報道された一方で、世界人口が10月末日で70億人を超えることが報道された。まさに、「縮む日本と膨らむ世界」だった。

 人口減少は、「第二の人口転換」の現象であり、経済社会が発展した国で多くみられる。ただ日本の場合は、発展が急速であったがゆえに、人口増加が急激で、こらから迎える人口減少も急激である。そして、少子化対策が功を奏して出生率が高位安定しても、安定人口に辿り着く頃には、大幅に人口が減少していることを覚悟しなければならない。

 日本は欧米列強に続いて先進国の仲間入りをしたが、これからは他の多くの国々が仲間入りをする。経済発展が実現すると当面は人口増加の時期を迎え、人口規模ならびに経済規模ともに拡大を辿る。先進国の停滞と新興国の発展が常態化する。

 ピーク時に17%あった日本のGDPシェアはすでに一桁まで低下した。日本は1968年に西側諸国第二位の経済大国となった。以来40余年、経済大国としての自負をもって国際社会と向き合ってきた。ただ、これからの日本の国家ビジョンを考えるとき、日本が相対的に小国化することを大前提としなければならない。

 これは、決して消極的な前提ではない。人口減少は経済社会の発展の帰結であるし、経済シェアの低下は世界経済の発展の帰結である。一言でいえば、人類社会発展の結果である。近現代におけるトップランナーである欧州諸国が、これまで経験してきたことでもある。

 ただ、小国化の前提は、日本の国家モデルに根本的な変更を迫ることになる。福祉国家、加工貿易国家、非軍事国家など、これまで経済大国だからこそ成り立ちえた国のあり方を見直さなければならない。

■「同質化する世界」

 国家ビジョンを考えるときに考慮すべきもう一つは、世界が同質化することである。

 2007年に発表されたゴールドマンサックス証券の試算によると、BRICs諸国を中心に新興国が経済発展を遂げ、2050年には日本は世界第8位の経済規模に転落する。その要因は、一方では新興国の人口規模の拡大であるが、他方では新興国の生産性の向上である。

 グローバル化は、世界あまたの地域への技術移転のプロセスである。究極的には、あまたの国の一人当たり生産性が均等化に向かい、一国の経済規模はその国の人口規模によって決まる時代が訪れるかもしれない。別の言い方をすると、世界中どこに行っても同じような経済生活が営まれることになる。

 そのような世界では、その国のソフトパワーが重要となるのではないか。伝統文化や生活文化など、その国で長年かけて培われてきたもので、一朝一夕では他国に真似できないものである。

 日本を代表する歌舞伎俳優の一人で、海外での文化活動に積極的に取組んでいる市川團十郎丈は、早稲田大学の機関紙でインタビューに答えて次のように述べている。

 「自分たちの文化を誇りに思うことが、真の国際化が向けた第一歩だと思っています。なぜなら、現在、国際化が進むなかで、世界は一つの方向に統一されていく傾向にありますが、そうした時代だからこそ、文化は多様性を保つ必要があると考えるからです。」

 トーマス・フリードマンは、著書「レクサスとオリーブ」の中で、レクサスは物質的向上を、オリーブは個人や共同体のアイデンティティを象徴するものとして描いた。まさに、「レクサス」を追い求める物質社会の中で、「オリーブ」をいかに守るか。最終的には「オリーブ」の大切さを多くの人が理解する日が訪れるのであろう。

月刊カレント2012年1月号掲載(2011年12月13日記)