全力を注いでいこう
7月8日(土)は、安倍さんの一周忌。
11時の増上寺の法要、12時の直会、午後の一般献花の立礼、夜の安倍派夕食会。安倍さんを偲ぶ一日となった。
安倍さんを初めて見たのは、1990年モスクワだった。日本の国会議員団がモスクワを訪問、団長の安倍晋太郎先生が体調不良で、安倍さんが昭恵さんを伴って、いわば団長代行の立場で参加。私は当時パリに住んでいたが、縁あって合流した。安倍さんはまだ議員になる前だったが、すでに強いオーラを放っていたのが忘れられない。
昭恵さんと初めて会ったのは、二十歳過ぎに新潟県のスキー場で。私と一緒に行った友達の先輩として紹介された。リフト乗り場で見せた明るい笑顔はいまでも覚えている。
以来30余年、いろんなことを思い出していた。2005年に衆議院議員になると、議員会館の部屋がお隣だった。秘書の皆さんも含め色んなことを教えて頂いた。年を経て、色んな仕事を一緒にさせて頂いた。強く印象に残った仕事は二つ。
一つ目は、2017年トランプ大統領就任でTPPから米国離脱が決まったあと初めての閣僚会合に、TPP担当副大臣として交渉に当たったときだ。大臣の代理で政府代表として参加、チリに1泊5日の行程。この会合を契機に米国抜きの「TPP11」が動き出した。出発数日前、官邸の総理執務室で事前打ち合わせ。米国が抜けても日本はTPPを推進する、同時に米国は排除しないとの基本方針を授かった。綿密に準備をし、現地では日本語英語フランス語を駆使し断続的に各国閣僚とバイ会談そして全体会議に臨み、合意を取り付けた。チリから大臣に電話で報告し、羽田から官邸に直行し安倍総理に直接報告。トップリーダーから直接指示を受けることで、ブレずに交渉に当たれた。いい経験になった。
二つ目は、2022年5月の財政議論。6月の骨太方針作成に向けて、積極財政派と財政規律派の意見が拮抗し、永田町全体で議論が盛り上がっていた。安倍さんは積極財政派の司令塔、対する私は自民党の財政健全化本部の事務局長。直接電話を頂いたことが新聞一面記事になりビックリしたこともあったが、二人で話すと見方の違いや誤解やらが明らかになり、議論が深まったように感じた。結局、必要な予算は出すが、財政健全化も当然実現する。当たり前の形に落ち着き、現在の防衛力強化と防衛財源確保の議論に繋がっている。残念なのは、究極のリアリストだった安倍さん亡き後、議論のバランスが崩れたことだ。現実を見据えた政策づくりを徹底していきたい。
卓越した手腕を見せた安倍外交、道半ばとなったアベノミクス。その成果を踏まえた上で、21世紀を生き抜くこの国の姿を実現していくべく全力を注いでいこう。合掌