私の考え

止まった日本を動かす

1.どんな日本と格闘するのか

1.「2つの転換期」に立つ日本

放物線を描く日本の人口。いま「人口の丘」の天辺に立って、初めて歩く人口の下り坂を見通さなければならない。私の祖母が生まれたのは明治45年、1912年。4歳の娘が寿命まで生きると、2094年。その間、日本の人口は5千万人から1億3千万人へ。そして5千万人へ。拡大期の20世紀と縮小期の21世紀。祖母と娘は同じ日本に住みながら、異なる日本に暮す。

一方、これまで150年間に日本は二度の奇跡的な発展を遂げた。明治維新に始まる「独立国家」の形成と、第二次世界大戦終戦に始まる「経済大国」の形成である。ともに短期間に先進国入りを果たした。戦前では1919年第一次大戦パリ講和会議5大国入り、戦後では1975年先進国首脳会議6大国入りに象徴される。欧米の強さや豊かさに憧れを感じ、国民みんなで努力に努力を重ねて勝ち得た結果である。

ただ問題は、頂点に上り詰めた後の対応である。戦前は、軍部の台頭を許し第二次世界大戦へと突き進んだ。戦後は、バラマキ政治の横行で財政危機へと突き進むのか。戦前も戦後も、成功体験への陶酔と価値観への固執が国家社会システムを破綻に追い込む。帝国主義時代の軍事的価値観への固執、資本主義時代の経済的価値観への固執。いま私たちは破綻の瀬戸際に立って、価値観の転換を図るときにいる。

有史以来初めての人口の転換点に立つと同時に、近現代史上2度目の時代の転換点に立つ。大胆な構想力と周到な実行力が求められる。

2.「手本のない領域」へ

急速な経済発展の結果として、日本は「特別な未来」を迎える。世界に前例のない、手本のない領域である。

まず第一に、4割高齢社会。日本は1970年に高齢化比率7%に達し、「高齢化社会」に突入した。そして、2020年代半ばには30%台、2050年に40%近くに達する。急速な経済発展の成果であるが、これほど高い高齢化比率を経験する国は他にないと言われる。

第二は、経済小国化。21世紀は新興諸国が勃興し、結果として先進諸国のGDPシェアが低下する。中でも日本は急激な変化を経験する。1994年に18%あったシェアはすでに8%となり、縮小傾向が続く。2012年4月に経団連が発表した2050年の世界GDPランキング予測で、日本は良くて世界4位、悪いと7位。BRICsに加えて、人口が多いインドネシアなどが台頭する。

経済大国だからこそ成り立った国家モデルを見直さなければならない。食糧やエネルギーの自給体制の構築を推進すること、防衛力を高めること、それに国際化を推進することなども必要になる。

3.「失われた20年」とは

高度成長を経て経済大国に躍進した日本は、先進国どこもが迎える高齢化や経済低成長に適した国づくりを求められた。1980年代から、成長国家から成熟国家への転換に向けて、国家経営や国民生活の変革に取り組んだ。1985年に年金給付抑制を実施、1987年に男女雇用均等法を施行、そして、1989年に消費税導入。備えを本格化させた。さらに、1990年代には橋本行革を、2000年代には小泉改革を中心に構造改革を推進した。

しかし、政策が現実社会の進展に追い付かず、国家は巨大な借金を抱えた。「失われた20年」の本質は、バブル崩壊後に経済危機対応を重視するあまり、構造的問題への対処を十分にしなかったことである。その分現在大きな宿題を抱えることとなった。

4.「政治改革」から「政治不信」へ

1994年の政治改革で小選挙区制が導入された。政治腐敗と決別し、政治家を選ぶ選挙から政策本位で政党を選ぶ政治への脱皮が期待された。以来15年を経て、2009年ようやく“政権交代可能な二大政党制”が実現した。

しかし、政治改革の企図は実現したものの、逆に日本政治は統治能力をなくしてしまった。原因は、第一に、経済財政問題や外交問題の深刻化。第二に、政党自身の問題。首相短期交代、公約不履行、政党組織弱体化などである。首相候補の政権担当能力や政権公約の内容を事前にチェックする仕組みが用意されていなかった。

日本再生の切り札であったはずの政治改革は逆目に出た。政治不信は頂点に達した。諦めにも似た状況になっている。

2.止まった日本を動かそう

1.「新興衰退国・日本」から「すごい国・日本」へ

日本は、二度の奇跡的な発展を遂げたすごい国である。では、いまはどうか。混迷の極にあって、「新興衰退国」と揶揄されることもある。一人一人は頑張っているつもりなのに、国全体で見ると想像を超えるとんでもない状況になっている。国の国際競争力順位は1990年1位が2012年27位に下落。一人当たりGDPランキングは2000年3位が2011年17位に下落。

日本という国が最も光り輝いていた時代には戻れない。ただ、日本人一人一人が世界で最も光り輝きつづける時代はつくれる。もう一度世界から「すごい国・日本」と言われるまで頑張らなければならない。

2.「国づくりの司令塔」をつくる

衆議院議員4年間で分かったことは、この国には具体的に未来を構想し実現できる司令塔がないことである。戦後しばらくは国家経営の司令塔は官僚であった。その後、自民党が台頭し与党と官僚が一体となって担った。1990年代以降は政治主導が叫ばれたが、政官関係が希薄となり、結果として政治家も官僚も司令塔の役割を果たさなくなった。官僚出身の首相も20年間に亘って誕生せず、政治家と官僚の同胞的親和性も少なくなり、政治と行政の距離はますます遠くなり、官僚は組織防衛に走り、政治家は行政部門のトップとしての責任を果たさなくなった。

最近の復興予算の使途に関する報道に接すると、官僚に哲学も道理もなくなったと感じる。政治と官僚組織を合算で考えて、いかに有益な仕事ができる体制をつくるかが課題である。

「有能で長続きする政権」をつくるには、有能なリーダーと政権公約が民意で選ばれ、正統性をもつことが重要である。それに加えて、良好な政官関係の構築である。政治家はいまこそ官僚を使いこなさなければならない。

3.「未来先導国家・日本」へ

この国の抱える課題は大きい。ただ、それらの課題は、発展の裏返しでもある。高齢化は社会発展の成果である。低成長は生活水準が既に高い結果でもある。

この国の抱える課題は複雑である。ある先輩政治家から「真実を語れ!」とアドバイスを頂いた。また、ある教育者から「夢を語れ!」と激励を頂いた。真実を語ると暗くなる、夢を語ると嘘になる。ではどうすればよいか。真実の中から夢を導き出し、その夢を語り実現していくことこそが政治家の役割だと思うようになった。

様々な制約の中で、いかにしてこの国の経営と国民の生活を成り立たせるか、国家経営戦略を構想し、説明し、合意を得て、実現していくのが政治家の役割である。「問題解決型」から「理想実現型」へ。未来のこの国のイメージをもって、それを実現する方法をみんなで分かち合って、取り組もうではないか。

急速に発展を遂げる新興国も早晩日本と同様の問題を抱えることになる。未来先導国家としての気概を持って取り組みたい。

寄稿:月刊誌「カレント」2012年11月号掲載